つらつら日記

ブラック社内SEからブリッジエンジニア(仮)に転職できました。修行中です。

転職活動と根性論

要はノリだと思う。

 

転職前に「私はあれができるだろう、これが出来るだろう」なんて考えるのは、私にとっては苦痛でしかなかった。だから、私が応募する企業は、基本「ノリ」だ。これやって見たいなとか思うことができた企業に、片っ端から履歴書を送りつける。

 

前職で手酷い失敗をし、何が出来るというわけでもないまま退職してしまったため、自分の手には何もないと言って良い。英語はどうかと言われれば、実際実務であまり使ってないので、通じるかはかなり怪しい。残ったのはTOEIC850程度のスコアと、なんちゃって英会話だ。

 

私の英会話能力はかなり怪しい。日常会話は多少詰まるものの、ビジネス的なやりとりは難しいだろう。そもそもビジネス英会話って何やねん、という次元だ。

 

それはそれとして、今日は5社くらい応募した。明日は面接が入っている。

それもこれも、父親がとうとう9月の頭には出て行く宣言をした、との話があるからだ。私もとっとと自立しなければならない。あの家に母親と祖母の3人暮らしはハード過ぎる。

そもそも私が出ていったらもっとハードになるのだが、そこは気にしてはいけない。老老介護自体無理があったのだし、行政に「うちでは介護できねえっすわ。」という状況を分かってもらわなければならない。

 

今の今まで、我が家の老老介護には違和感があった。うまく言語化はできなかったのだが、その一つが今、言葉にできそうである。

 

そう、我が家には「無理だ」と口にする文化がない。

技術的に無理とか、知識がないから無理とかそういうことではない。精神的に体力的に無理だと認めることが悪だ、みたいな所がある。

我が家は従来から根性論が好きな家系で、理由とか動機を明確にすることを拒んできた。先祖代々上からやれと言われたことはやらなければならず、口ごたえを許さなかった。今回の介護もそうだ。我が家の介護プランは遠からず破綻するのが見えているにも関わらず、「無理だ」の一言を言わない。祖母が自宅での介護を望んでいるから、なんて理由ももちろんあるだろう。だがそれ以上に、「無理だ」と口にすること自体が我が家ではタブーなのだ。

過去にそういう経緯があったにしろ、今はもう、無理だ、の一言を吐き出させるしかない。現実的に。

私を含めた家族の皆が、それぞれの道を歩んでいる。そんな中で祖母にも辿るべき道がる。母にも道がある。それぞれが幸せな道を歩みたいなら、「無理だ」の一言を吐き出させるしかないのだ。