哲学がどうのこうの
fromdusktildawn.hatenablog.com
ああ、そうだよなぁ。と思った
ちなみに、私の親は哲学が嫌いだ。親父に言わせれば「哲学なんて学んでも、理屈屋になるだけで役立たない。就職では突っぱねられる」らしい。一方母親に言わせれば、「とりあえず論理的な理屈屋にはなるべからず。鼻につくから。」らしい。
大学の友人に聞くと、色々な答えが返って来る。哲学でいうある種の「考え方」や「主張」を考え出した人の人生を追うと面白い、という人もいれば、「まあ社会的にあんまりおおっぴらけに言うもんじゃないけど、まあためになる」と言う人もいた。
個人的には、哲学系の本は読んでいて面白いとは思う。ためになったかは分からない。
ただ仮説ではあるが、哲学をうまく理解できると、人生生きやすくなるんじゃないかと思うので、哲学の本は読んでいる。
哲学における主張や理論は考え方の方程式のようなものであり、「此処をこう考えると、こうなる」と言う理屈を束ねたものである。(ただ方程式のような普遍性は薄いように思う)
私のような人間は考え方が硬い。柔軟性がない。かつ思い込みが激しい。なので、他人の考え方を自分の中に取り込むという作業に時間がかかる。その点哲学は書物などデータにまとめてあるので、時間をかけてじっくり学び、理解することができる。
実際に哲学の考え方を生活に取り入れよ、とかそういう堅苦しいことは言わない。というか、それはかなり現実的に難しい。哲学は自分の脳トレ、頭を柔らかく、考え方を柔軟にする訓練の意味合いがあると思っている。少なくとも世の中には様々な考え方があり、自分の考えが絶対でないことを知っておけば、生活の場において一歩引いて状況を分析する余裕が生まれるのではないだろうか。
上記に引用したブログの執筆者の方も言っているが、「哲学は役に立たない。役に立つことを目的にしてはいけない。」一方で脳トレ的な意味合いで、もっと気楽に肩の力を抜いて、哲学は取り組むものだと思う。(ガチでやりたければやってもいいが。)
哲学は頭の固い人たちが多いとか、理屈屋が多いとか、イメージとしては間違っていないのかもしれない。だがそれに囚われず、もっと「柔軟に」かつ気軽に取り組まれるといいなぁと思う今日この頃である。