つらつら日記

ブラック社内SEからブリッジエンジニア(仮)に転職できました。修行中です。

仕事辞めます(確定)

上司及びカウンセラーの方との面談が終わりました。

 

最初にカウンセラーとの面談。「辞めます」と淡々と気丈に身の上を話していたら、あっという間に涙がボロボロこぼれて鼻水ダラダラ垂れ流して、止まらなくなって「すいません、本当にすいませんでした」しか出てこなくなっちゃった。この記事書いてる間も泣けて泣けて仕方ない。涙と鼻水が止まらない。申し訳ないしか思わない。

 

「君のいいところはね、一人じゃないところ。大抵発達障害の人って、一人になっちゃって、職場でも孤立しがちなんだけど、君はそうじゃない。同期やら何やら周りにいて、離れないでいてくれる。皆の中心にいて、いつも気丈に笑ってるでしょ。私はそこがすごいと思うの」

 

こんなカウンセラーの方の言うことを聞きながら、ずっと涙が止まらなかった。

 

頑張りたいけどどうしたらいいか分からない。頭が追いつかない。体が追いつかない。どうコミュニケーションを取れば相手に分かってもらえるのだろう。どうすればもっと作業が早くなるのだろう。分からない。

そんなことをずっと考えて、悩んで、のたうちまわって、苦しんで。どうして周りの人が普通にできることが俺にはできないんだろうって考えちゃった日には、夜も眠れなかった。勉強しても成果は上がらず、褒めてももらえず、腐っていく日々。

 

一方、上司との面談は淡々と進んだ。一回泣いたおかげでかなりスッキリしたせいだろう。向こうも取りつく島がなくなっちゃて、身の上話なんかして、久しぶりにピリピリせずに話はができたと思う。

 

帰宅後には会社の部活の面々にもLINEした。

本当に何も貢献することができなかった、申し訳ない。もしできることがあるなら、できる範囲で協力する、と連絡した。直後に部の一番仲がよかった同期から飲み会の誘い。本当に彼には世話になった。忘年会を一緒に企画した時も、彼に多くの仕事を任せてしまった。(私が一番忙しく、深夜残業休日出勤ぶちかましていた時だが)文句も言わず、取り仕切ってくれた。彼には今後も幸多いことを願いたい。願わくばSEやってたせいで体壊したなんてことはないことを願う。

 

本当に、本当にありがとう。こんな私だけれど、多くの時間を共有してくださった皆様、本当に感謝しています。

好きで発達障害者になったんじゃない

上司との面談は明日に伸ばされました(笑)

 

まあ朝一で言ったとはいえ、そんないきなり予定確保できるわけないわな。

 

アポ取りのメールを打つのが本当に辛くて、

「どうすれば最大限穏便に済ませることができるのだろう・・・。いや、これだけ迷惑かけた上で退職するというのだから、穏便に済むはずがない。でも最大限相手の気を損ねないように何とか済ませたい」とメーラー開いて一時間。文章を散々こねくり回してやっとこさアポ取りのメールを送ることができました。

まあアポ取りの翌日に時間を取ってもらえるのだから、まだいい方ですよ。

 

本日は一日パワーポイントこねくり回して発表資料を作っていたんですが、ひたすらに苦痛苦痛。だって私の恥を晒せと言われているんだもの。何一つうまくいかなかった一年目の話を、皆の前で晒せと言われているんだもの。そりゃ嫌だわ。自己管理もできず、勉強もできず、仕事もてんやわんやする羽目になった一年目。退屈な仕事で眠気に襲われ、無理やりモンスターエナジーフリスク(ブラック)をちゃんぽんして、お腹壊したあの日々。でもそれでも眠気には抗えなかったよ・・・。

 

一時間に一回の報告とか苦痛でしかなかったよね。元はと言えば、俺が「報告のタイミングがわかりません」とか言いだしたからなんだけどね。そんなに頭の周りも早くないし、熟考しているうちに時間が過ぎて、あっという間に次の報告の時間。「この一時間何してたの?」とかもう、ね。土下座するしかないわ。

 

本当に、本当に生きていてすいませんでしたぁ!

 

てな感じですよ。

 

アメリカに生まれたかったなぁ。

今、栗原類さんの著作を読んでいるのですが、ああ、アメリカいいなぁ、俺も世界のどこかに居場所欲しいなぁ、と思うようになってます。いや、さ。本当にアメリカに生まれたところで、別に発達障害に対する差別がないわけじゃないし、ギフテッドエデュケーションを受けたとしても、俺が満足に生きていける保証なんてどこにもないさ。

ただまあ、普通にプログラム書いて、人並みに仕事できて、人並みに生活できてりゃそれが一番だったんですよ。

 

本当に。

 

今日は脈略なく書きますが、別にITは嫌いじゃないよ。コード書くの面白いし、自分のペースで色々調査するのは楽しい。ものが動いたり、純粋に新しい知識に触れられるのは面白い。初めてiOSアプリ作って動くのを見たときは感動したわ。自分でアルゴリズム考えて、その通りに数値が動いた瞬間は今でも何となく覚えている。自分で仮想環境立てて既存のWebアプリケーション動かした時は感動したなぁ。上司からは「有識者なら、その作業君の4分の1の時間でテストまで全部終わるよ^^」って言われたのは軽く堪えたけれども。ものを作るのは楽しいんだよ。でも求められる精度と速度を実現するには、すさまじい時間と修練が要る。いやもう、本当にそこで詰んでる。向いてないんだろうね。向いてないのかな?仕事辞めた後にもう一回オンラインスクールとか、セブ島留学で勉強しなおせば、ちゃんと人並みに動かせるようになるかな?基本情報はもうお金を払ってしまったから、ある程度勉強して受けるつもりでいるけれど。VBAはおそらくこれからも使えそうだから、勉強して損はないよね。

 

ただ、遅い。精度が他人より悪い。

 

本当に、本当にこんな障害いらない。

 

仕事やめようと思います(予定)

今日で10連休が終わりますが、明日会社に行ったら上司と退職面談をしようかなと思います。自分が発達障害(ADHDではないにしろ)であることが分かって、職場とも話し合いを続けてきましたが、先日「弊社にはあなたが担当できる仕事がない」と宣言されてしまったので・・・。

 

職場には様々な配慮をしていただき、利益にもならない私を半年以上に渡ってかくまってくださったこと、本当に感謝しています。私としても、利益にならずとも何かしら力になれないかと思い、飲み会の幹事に休日を潰しての勉強会と参加させていただきましたが、もう流石にこれ以上迷惑をかけるのは会社にも私にもよくないと感じるようになりました。私としては最後の最後まで利益を出すことができず、ほぼ何のお役に立つこともできず、本当に悔しいのですが、何ヶ月か悩んでこれしかないと思ったので、退職を決断しました。

 

私は自分のしたいことしかできない、というのも自分で身にしみて感じました。興味のあることに取り組むと、妄想力と発想力がフルスロットルで働くのですが、それ以外のこととなると途端にしらけてしまい、出るアウトプットも標準以下のクオリティ。。。(もしくはクオリティは満たせていても、納期が守れていない)ということが続きました。

 

今現在取り組んでいる作業も私の自己啓発で、仕事ではありません。本当の本当に日本では私がクズなのだと思います。皆同じことができて当たり前、秀でた才能はいらない社会からすれば当然のことでしょう。

 

双方の利益にならないことを延々と続けても、お互い時間を浪費して傷つくだけです。

 

これからのことはあまり考えていませんが、とりあえず実家に一度引っ込んで再起を図ろうと思います。WAIS-3の診断結果上はIQは低くない(動作性に関しては99だったけどね!言い訳がましいけど、言語性に関しては122あった。。。あったんや・・・。)

 

職に関しては、通訳翻訳とか貿易関連の職にありつければいいかなぁ、と思っています。当面の希望は「外国でうまいこと職にありつければ、自分でもまともな生活送れるかも!前にアメリカで1年暮らした時は楽しかったし、話題も共感できたし。まあ囲ってもらえるようなスキルはないけれど・・・。」てな感じですかね。前途多難なのはいつものことなので、しゃーないか、と諦めて前に進むのみです。

 

※ブログ名?何かに変えるかもしれませんね。アレな無職の日記とか本当にあれがあれな感じなので、翻訳の職にありつけた暁には「アレな翻訳家の日記」とかに変更したいものです。

エンジニアで無くなりそう、という話

そろそろ限界かなあ、と。

 

プログラム書かせりゃ人より遅く、上司の言っていることも正確に理解できず、作業の優先順位づけもなっちゃいない。

何か成果が出せたかと言われると、ほぼ成果なんざ出ていない。

こりゃ本当に厳しい。

 

上司には本当によくしていただいたと思っているけれど、自分の人間的機能限界です。

そりゃ努力してプログラム書く練習をすれば、人並みに書けるようになるかもしれない。でも、その間に同期や後輩は私のうん十倍という速度で成長していく。一人取り残される。同じ時間をかけるなら、私の得意な分野に時間をかけた方が、自分の将来のためになる。

 

上司との面談も散々やったし、それを実行すればそのうちよくなる、なんてこともあったかもしれない。

 

まあ実家のこともあるし、そろそろ本当に限界。

 

本当に申し訳ない。

少し愚痴をば

職場の飲み会に参加するか否かということについて。

 

先月あたりから、職場の飲み会には極力出ないということを実践しようと思っている。業務的に出なければならないものを除いて。

職場の飲み会はとかく精神的かつ肉体的に良くない。

 

職場の飲み会というと、お酒の力を借りて普段言えないことを言う場だとも、親交を深める場だとも言う。仕事を円滑に進める上で、今までの日本では飲み会はそれなりの役割を果たしてきたわけだし、節度を弁えて参加するなら有意義な取り組みとなる。そういった場でなければ言えないこともあるだろう。

 

ただ、人によっては参加すると仕事にプラスになる人と、そうでない人はいると思う。私は後者である。

いわゆる気遣いがうまくできて、仕事ができる人には絶好のアピールタイムになる。普段から上司とのコミュニケーションも円滑なのだから、お酒が入ればもっと深い話もできるだろう。

一方でそれができない私のような人間にはプラスになることはない。今まで職場一年目の間は、これも経験と思って飲み会に出てきた。酒の注ぎ方、幹事のやり方、酔った人への気の回し方などなど、勉強できたことはある。

ただ、それが業務につながって、職場でのコミュニケーションが円滑になったことはない。断言しよう。むしろ悪くなったことしかない。

まず、私は集中力が高くないので、何かに集中するとそれ以外に集中できなくなる。そのため、飲み会の間は会話していると言うより、むしろ周囲に注意力を振りまいている時間の方が長い。酒がなくなれば店員に注文し、周囲にお酒を注ぐと言う作業をやっていた。正直これはそこまで苦痛ではなかった。飲み会での何気ない会話を自発的にする方が苦手なので、むしろそういった仕事があるのは時間つぶし的な意味でありがたかった。ただ、それで上とのコミュニケーションは円滑になった試しはない。経験として肥やしにはなったが、コミュニケーションの勉強になったとかいうことはない。

 

次に、お酒は人の理性のタガを外す。本音も出る。人によってはそれがいいのだと言う人もいるが、私はそうは思わない。言いたいことがあるなら、素面の状態でかつ職場など公的な場所で理路整然と言うべきだ。飲み会は決してボロクソに罵倒され続けるためにやる会ではないはずだ。私は4000円とか5000円とか言う大金を払うなら、説教会よりも参考書とかオンラインスクールに払いたい。もし説教会に参加して精神を病み、貴重な休日に疲れが残ろうものなら、もう飲み会なんて参加しない方がいいと思う。大体そんな素面でもない場でやった説教で、一体何人の人間が成長するというのか。罵倒されて喜んで成長する人間を、私は見たことがない。その金使って勉強しろ。

 

別に飲み会を否定したいわけではない。繰り返しになるが、今までの日本では飲み会が大きな役割を果たしてきたのだろうし、そこでしかできない経験というのもある。その効果を否定したくはない。人によってはビジネスチャンスになり得るだろう。

 

ただ、そこに参加して得られるメリットとデメリットは厳密に秤にかけるべきだと思う。私のように既に職場での評価が地に落ちている人間にとっては、一歩間違えば飲み会は地獄にしかならない。うまく振舞ってもプラスになることはない。平行線かマイナス行きだ。

 

ここまで愚痴になってしまったが、要は「義務感から無理やり出たくもない飲み会とか、参加する必要ないよ」ということである。ゆめゆめ、自分の精神状態とメリットデメリットを秤にかけることをお忘れなきよう。

志望動機やらなんやら

志望動機やらなんやら、というか

海外で働きたいなんて願望はあるけど、そこに「社会に対して何がしたいか」「どう貢献したいか」という視点が抜けていたな、と思い、少し考えたい次第。

 

仮に今の路線で行くと、エンジニアとして海外に出ることになるわけだけど、海外にでる意味って何かなと思う。

新卒就活の時は、大学でジャーナリズムと「世における正しさ」なんてテーマで勉強を進めていたので、「各々がもっと自由に情報にアクセスできて、情報格差なんてなくなればいい」と思っていた。

そう思っていた根源は、自分が大学受験の時に、志望していた大学の入試情報が少なすぎて、無茶苦茶苦労した経験にある。当時は本当に情報が少なすぎて、親に無理言って志望大学の入試講座を聞きに現地まで飛んだことすらあった。塾の先生にも相当面倒を見てもらったけど、ダメだった。そもそも大学が開催している入試対策講座なんか、あてになるわけがない。講座で表に立ったのは某予備校講師だったけど、そもそもタダで入試のノウハウなんか開示するわけないよね。向こうも慈善事業じゃないんだし、それで合格者が増えたりなんかしたら、商売あがったり。

 

少し話が逸れた。兎にも角にも、大学入試失敗を経て都会に出てからも、情報を持つものと持たざる者の差というのは、そこかしこで感じていた。田舎というのは本当に狭い世界だ。その中だけで基本的に何でも完結しているし、その中で生活して行くなら、外のことは知らなくていい。それで日常は支障なく回る。一方でそこでの日常というのは老若男女関係なく、「刺激」にかけている。あらかじめ歩むべきルートや目指すモデルが決まっており、変化なんていらないという人にとっては、快適な環境だ。

 

ただ、私のような「ADHDもどき」にとっては、変化や刺激のない日常というのは非常に退屈で、気が滅入る。田舎では空気を読むスキルが一層必要になるし、それがない人間にとっては過ごしにくいことこの上ない。一方都会は気楽でいい。空気が読めなければ(これは田舎も都会も関係ないが)、必然的に孤独になる。しかし、都会では孤独が許容される。多少変な奴でも、それにあーだこーだと目くじらを立てるような暇は、都会にはないのだ。

 

また話が逸れてしまった。

そもそも私が世間様に対してどんな貢献ができるかという話だった。

ぶっちゃけ、世間様に貢献できるようなスキルは私にはない。

強いて言えば、日本語が話せて、日常会話レベルの英会話ができ、プログラムを書いたことのない人と比較すれば、毛が生えた程度のプログラムの知識がある程度だ。

例えばだが、日本に向けて仕事を発注したい時に、橋渡し程度ならできるかもしれない。メールを読んで、現地で会議ができるかなという程度だ。すごくとってつけたような感じがするが、マッチする条件の仕事があれば、それなりに説得力はあると思う。(他にもそんな奴いくらでもおるわ、というツッコミはなしの方向で。)

 

まあ、こう、情報格差を解消するために何でプログラムなのかという話なのだが。

そういうサービス作りたいの、って言われるとノーだ。そんなもん、俺が作らなくても、他の誰かがやっている。何なら、ツイッターフェイスブックがあれば、事足りる。

ただ、世界には変化と多様性で満ちていてほしいし、プログラムは世界を引っ掻き回す道具でいてほしい。限りなく自分に都合良い世界を実現するために、プログラムは存在すると思う。

情報格差、今考えるとある側面では全然ありだと思う。いわゆる弱者と言われる人たちに情報を伝えたとしても、それを有効活用できるかは別の話だし。知らない方が幸せという言葉もある。自分は弱者なんだと敢えて自覚することが逆に不幸につながることもある。ただ、格差を意識して、そこから這い上がりたいという人たちも一定数しるわけで、そういう人たちにとって手段は必要だ。金とか環境とか、そういうものに影響されづらい、手段は必要だ。

 

田舎の生まれであり、発達障害キャリアである私にできることは、すべきことは何か。

田舎の生まれでも、発達障害キャリアでもいろんな生き方ができる、ということを伝えて回る、ということができるのではないだろうか。

障害者だから単純労働しかできないとか、そういった偏見を(世間的にも、当事者的にも)広く認識してもらえればいいなと思う。

実際に普通に働いて行くということは難しいけれども、不可能ではない。周りの補助と理解は必要だけれど、その手間を差し引いても共に働きたいと思ってもらえるレベルの人間になればいい。ハードルは果てしなく高いけれど。

 

誰がロールモデルというわけではない。ただ、障害者だからという理由で将来の選択肢を狭めることのない社会になるといいなと思う。そのために、自分自身が一つのモデルになれるといいなと思う。傲慢かもしれないが。

 

ただ、自分自身が優れたサービスを作り出すことはできないけれど、自分自身の生き方がこの世に成立することが、世間に貢献することにつながればいいなと言う話。

 

純粋な願望(就活向けでない話)をすれば、単にいろんな所で自転車旅したいだけなんだけどね。日本でリーマンやってたら休み取れないし、絶対無理。

診断が下って

この間、とうとう私に診断が下った。

 

どうやらADHDのような傾向があっても、それではないらしい。どうもそれより大分緩めな診断が下った。

 

それでも私の能力が日本で生きて行くにはどうにもアンバランスで、どうにも生きづらいだろうと言う話だった。

 

能力の分布としては、言語性IQは120オーバーしていた。その一方で、動作性IQはほぼ平均値。完全なアレである。詳しいことは書けないが。アレである。

 

このアンバランスな脳みそ提げて、私はどう生きていけばいいのか。調べると、能力の比率が言語>動作の人間の、いい所が見つからない。頭の中で言葉はあれこれ回るけど、口でうまくそれを表現することができない。つまりアウトプットがうまくいかないので、人からは理解してもらいにくい。あれこれ言葉は回っても、行動が伴わない。口達者だけど、口先だけ。みたいなことしか書いていない。

 

ネットを振り返っても後ろ向きになるだけなので、自分の実生活を省みたい。

 

実際言いたいことはうまく表現できていない。相手が言ったことをある程度推測で補う癖があるので、「本当にわかってる?」と言われると弱い。指示も本当には理解できていない場合が多い。

 

一方で、翻訳業務やマニュアル執筆などは好きだ。プログラムを書くのも嫌いじゃない。ものの書き方、アルゴリズムの実装方法を考えるのは、その場で色々バリエーションを考えるのが楽しい。プログラムなどでは、それがまま裏目に出るけど。

 

自分はどうやって生きていけばいいのだろう。表向きとりつくろってはいるけど、お先真っ暗と言う感じである。当分は一般枠で仕事を続けて、あるいは派遣で働くことも考えないといけない。今の職場はおそらく、私のことを一生懸命見ようとしてくれているのだろうけど、いつまでも今の企業にご厄介になるのは申し訳ないのだ。

 

今はできることが翻訳しかないので、翻訳で食って生きたいとか抜かしているが、それで食っていけるのだろうか。

 

本当に怪しい。

 

自分の人生どうなるのだろう。