つらつら日記

ブラック社内SEからブリッジエンジニア(仮)に転職できました。修行中です。

ITとどう関わるか

ここ最近、プログラミングの勉強をしている。

理由はやはり、前職での経験に対する後悔や憎しみが今でも積もり重なって、「いつか見返してやろう」という気持ちがムクムクと膨れ上がっているから、というのが大きい。

また、単純に技術の勉強は面白いからだ。自分のペースでやれば。

 

きっかけは、とある外資系企業に出す英文のレジュメとカバーレター を作成していた時のことだ。

英文履歴書というのは、日本のそれとは作り方のコンセプトがそもそも違っていて、「自分を売り込むために書く。」無論嘘になる事は書いていないが、短い就業期間の中で経験した事、得たスキルを書いて書いて書きまくる。重箱の隅を突くように。

 

そうなると、必然的に前職での経験をあれこれ思い出さなくてはならない。正直思い出したくはないが、あのオフィスビルのフロアであった事は、なかった事にはできない。そんな事をしながらスキル欄を記載していたら、「あれ、でも別に新しいことを覚えたり、ものを作るのって楽しかったよな」ということも思い出したのである。

 

就職活動をすると、エージェント様からも「前職が前職ですし、IT適正はなんとなくあると思うんで、そっちで働きませんか」と言われる。自分でも技術を勉強するのは嫌いではない。正直会社が合わなかっただけで、ある程度ワークライフバランスが取れる会社なら、存外にやっていけるのではないかとも思う。

 

でもまあ、しかし。多分今はそんな事は考えられない。考えたくないのだ。

私にとってあそこでの経験では、正直やりがいは見えてこないと思う。SIにいるだけでは、末端のユーザーと知り合う機会が少ないからだ。モバイルアプリやWebアプリケーションの開発ならまだしも、業務系のシステムとなるとそうは行かない。前職でもっとも感じたのはそれだ。ものを完璧に仕上げて当たり前で、誰かがそれを認めてくれるわけではない。感謝されるわけでもない。あのオフィスビル強制収容所のような区画で、黙々と仕事をこなすというのはただの地獄だ。目に見えてその日のノルマがこなせていなければ叱責され、コードが汚いと罵られ、いま思い返しても気が狂いそうだった。極め付けは昼休憩だ。昼は業務を行わないので、電気が消えて、あたりは薄暗くなる。何人か業務を続けている社員のPCが放つ明かりだけが、ぼんやりと使用者の顔を照らし、それはもう場末感があふれていた。私が最初あのオフィスを訪れた時に、軽く私の中でサイレンのスイッチが入った音を聞いたのだが、長らくその正体に気づけぬまま、私はその環境に順応していった。誰があんな環境でディスプレイの明かりを頼りに、好んで飯を食いたいだろうか。そんな人がいたら、もれなく私が前に通っていた精神科を紹介する。私はあんな環境で十何年も仕事ができる上司を、私は本気で尊敬する。

 

(一方で、上記のこととは別に、そもそも前職にはそれなりの恩義がある。プログラミングが楽しいことを教えてくれたのは前職だし、その他諸々教育やケアをしてくれたのも覚えている。結果は残念なことになってしまったも知れないが、損害を差し引いても、彼らには多大な恩義があると感じている。)

 

話が脇道に逸れた。私が再度IT業界に行きたいかという話である。

二度も足を突っ込んでしまえば、何かもうズブズブに行きそうである。とどのつまり、「組織の一部になりきれるか」という話をしているのだが、正直私には厳しい気がする。あんな寿司詰め状態の世紀末部屋で、再度コーディングをしたいかと問われると、答えはノーだ。二度と御免蒙る。例えそこで数年耐えてスキルアップすれば、外資系やらの開けた綺麗な部屋で、オシャレにコーヒー片手に仕事できると言われてもだ。そもそもその補償もないし、勝ち目の低い戦はしたくない。

もっと外に出て行って、人と話す仕事がいい。肉体労働(日雇い)はその典型で、声を出しながら仕事をするのは、疲れるが周りからの評判も良くなるので、やりがいがある。

別にオフィスワークでもいいが、どうせなら英語を話しながら仕事をしたい。英語は話すだけで、内容関係なくストレスを減らす。日本語のようにあれこれ言い回しに苦心しながら、慎重に話す必要はない。

 

プログラムはそれなりに勉強して、もしフリーランスとしてやる、誰かの仕事を手伝うということがあれば、やってみよう。将来独立した時のための肥やしにしようと思う。別に今はそれで利益を出さなくてもいい、詰められることもない。単純に何かを作る、創造的な趣味として取り組むことにしよう。

 

一度楽しいと感じたことを大事にしてやることが、自分を労わることだと信じて。