つらつら日記

ブラック社内SEからブリッジエンジニア(仮)に転職できました。修行中です。

私病んでますアピールの是非

私は発達障害である。

 

先日医師の診断を受け、月に二度医師の元へ通院している。日々ストラテラを40mg朝と晩に飲み、9月まではやっとこさ働いてきた。だが先日、どうにもこうにも立ち行かなくなり、会社を辞めて浮浪の身と成り果てた。

就活はとりあえず、ぼちぼち始めている。障害者就労支援センターなる所に通い、カウンセラーの人と話し、どうやったら社会に適合できますかねぇ、ということなどについて延々話している。

家では朝起きて、日に一度飯を作り、アズールレーンで出来たレナウン嬢を嫁として愛で、彼女の天然さを愛で、時に袖にされながら日々を生きている。

 

そんなろくでなしの私だが、許せぬことがある。「発達障害であること」をダシに、私病んでますよアピールしてくる輩が許せぬのだ。特に誰というか、これが私のご母堂なのだが、本当に毎日のようにそのネタをぶっ込んでくるので、ほとほと弱っている。

 

母は齢60を過ぎている。血筋から見ても、彼女の日々の生活を見ても、何となくADHDASDであるような点は見て取れる。空気が読めなかったり、作業の順序があべこべだったり、興味のあることにはのめり込む性格である点などがそうだ。発達障害であるなどという診断が降りても、彼女としては今更如何ともし難い、と考えているらしい。もはや死に行く身では、自分を変えていこうとかより良く生きようとか、そういうのがしんどいというのだ。また彼女の仕事柄、それがもし他所にバレてしまったら(言わなければいいだけなのだが)かなり痛い目にあってしまうだとか、30年前にかかった精神科医から散々こけにされたので、もう行きたくないとか、あれやこれやと診断を避けている。

 

別に医師の診断を避けるのは構わない。自分が障害者であるというのを受け入れるのは、中々勇気がいる。今まで当たり前のように生きてきた身分から、一気に格下げを食らう、今まで無意識にも見下げてきた人々と自分が同格になってしまう、というのは心理的に来るものがあるのだろう。

 

ただ、それをダシに自分が辛いのだとか病んでるのだとかアピールするのは我慢ならない。私は齢27であり、これから自分の特性を受け入れて世の中で生きていかなくてはならない。そのためなら大概のことは恥を忍んでやるつもりだ。そうやってこちらが一生懸命自立しようとしている隣で、私と同じ障害かもしれない、苦しんでいる、しんどいのだ、と宣うのはどうにも私への侮辱であるような気がする。私からみて、彼女の言う発達障害は、ファッション障害とでも言うべきものであるように感じる。つまり、自分も弱者であるような体を装って近づきつつも、肝心な所はボカして自分のプライドを守り、その一方で正式に発達障害の診断を受けた者を心の内で見下す、そういった類のものであるように感じる。

私だって発達障害で今までしんどい思いをしてきた。一方でそういった私を診断を受けていない身で上から目線で見られるのは、本当に不愉快である。

 

てめえだって、同じ穴のムジナじゃねえか!何を気取ってやがる!

 

と叫びたくなる。

今までは、叫んだところで言葉を濁され、その後の病んでますアピールが酷くなることが予想されるので、叫ぶことはしなかった。

だがここに来て私もほとほと愛想が尽きかけて来たので、そろそろ言ってやった方がいいのかな、という気もしている。

別に親はいつまでも親なのだが、その立場を逆手にとって、私の足を引っ張っていいことにはならない。

もう、きっぱり言った方がいい。

 

深夜2時の電話とか、寝ている私の枕元に立つのもやめてほしい。あれ、普通にDVにならねえかな。