都会向き田舎向きとは
ここに来て、本腰を入れて私も動いている。
差し当たっては、ジムと翻訳講座を申し込んで来た。無論前職での蓄えからの全額自腹だ。来月半ばには基本情報を受けるし、TOEICも控えている。
最近実家でゴタゴタが続いており、非常に居づらいので、とっとと出ていく準備を整えようと思う次第である。
そのゴタゴタに関連して、周りから、私は田舎に合っていると言われているが、あの人たちは何を持ってしてそんなことを言っているのだろうか。
私は土地によって合う合わないを考えたことがない。問題は土地ではなく、出会う人が問題だからだ。
日本全国どこに行こうが、合う人は合うし、合わない人は徹底的に合わない。そもそも他人と分かり合えるとか、そんな風にあまり思ったことがないので、その点極端な言い方をしてしまえば、「全員合わない」と言ってしまっていい。その反面「全員何かしらの点で合う」ということもできるのだが。
人柄がやんわりしてるだのなんだの、皆は言ってくるが、どこでも「やんわりした人」なんてのは存在しているし、それなりに快適に生きている人はいる。
無論合わない点に関しては少なからずあろう。しかし、その点はうまく折り合いを付けていくのが人間関係というものではないのか。その点は世界共通だと思う。
折り合いのつけ方に関して、妥協できるなら妥協すればいいし、できないなら離れれば良い。
その点、絶対数の多さからしてフレキシブルなのは都会だが。
元来コミュニケーションが苦手という自覚はあるので、スキルを磨き、「日本全国どこに行っても、柔軟に生きていけるようにする」を目標に生きてきた。
お陰で薄い人間関係を世渡りしながら生きていくのは、少しできるようになった。深い人間関係は死ぬほど苦手だが、旅先とかイベント会場で薄い人間関係に浸って自分を満足させられるような体になった。
そういう点で、私は都会向きであるように思う。全ては地元から離れるための策であり、これを無駄にしたくはない。
私の周りの人間、皆してテレビで聞きかじったようなことを吹き込んでくるので、気持ち悪くてしかたない。ちゃんと議論がなりたっており、マトモなのは親父だけだ。
早く地元を出なければ。出なければ自分が腐ってしまう。そんな気がしてならない。