介護に関して
我が家は今、老老介護状態にある。60を超える両親が88の祖母を介護している。最近は足腰が思うようにならず、先日階段から落ちて、腰の骨を圧迫骨折した。
それ以来、祖母の寝床は居間に移動し、四六時中(深夜以外)家族の監視に置かれることとなった。
世間的に言われているように、介護は地獄である。あらゆる場面で私たちは呼びつけられ、祖母のいうことを聞かなくてはならない。ある時はクーラーをつけ、水を、お菓子を持っていき、シモの世話に付き合うこともある。
ある時は深夜の3時にテレビの音量をMAXにして、家族を起こしたこともある。そういう時に限って存外大したことはなく、私たちは深夜に起こされただけという結果になる。
とにかく本人は気力が萎えているので、もう動きたがらない。腰が痛いので、ご飯を食べにも起きてこない。本人が動けば少しずつ体調も上向きになる、と医者や介護士の人から言われているのだが、然としてベッドから動きたがらないのである。
理屈では祖母が悪くないと分かっている。私も腰をやった時は、とにかく動きたくなかった。だが物事には限界がある。用件の中には「それはちょっと我慢すればなんとかなるのでは?」という事も多分に含まれる。そういう事が積み重なれば、当たりたくもなるし、言う事も聞きたくなくなる。
私が内定が出て働き始めれば、私は実家からいなくなるし、その時は正真正銘の老老介護の始まりである。その時、実家はどういう決断を下すのだろうか。個人的には老人ホームなどの施設以外の選択肢はないと思っているのだが、施設のキャパシティの問題や本人の意思の問題もあるので、簡単にはいかないだろう。
雑記(2018/07/13)
先ほど就職エージェント様から、面接に落ちたという連絡がきた。
未経験としてカスタマーエンジニアに応募したのだが、未経験という事と、試験の内容が芳しくなく、今回は採用を見送るという事だった。
試験というのが、ある種の文章を書く試験だったのだが、自分としてもあまり感触のいい試験ではなかった。
書きたい事、言いたいことは無数にある。でも要約できないし、並べられない。テンパると頭の中で、あれもやれコレも書け、と伝令が飛び、どうにも落ち着かなくなってしまう。
このままではいかんというのは分かるので、文章を書くトレーニングをしようと思うのだが、日々ロクでもないことしか起こっていないので、書くことがない。過去の記憶はあっという間に消え去ってしまう。
文書も昔のようには読めなくなってしまった。大学生までは自分の好きな本、文章を好き勝手に読んでいればよかった。社会人になってからは、読む本がビジネス書、技術書にならざるを得なくなり、森見先生や好きな作家を読む時間は削られていった。
上司からは「君の文章は何が言いたいか分からない。小学生からやり直せ」と散々言われた。いくら書いても修正に次ぐ修正で、もう自分の書く文章の一切が信じられなくなった。今回の記事は、取り合えずブログなら書けるかなと思ったので、書いて見たまでである。
文書をもう一度。
身軽になった話
今日、半年続けたTOEIC講座をやめてきた。
とりあえず800を超えて外資新卒のラインでは弾かれない点数になったことだし、後は語彙力の問題である気がしたからだ。
文法問題は注意欠陥と疲労が仕事しなければ、ミスしなくなった。というか、問題演習の数をこなした結果、露骨に語彙力を問われる問題以外、間違えなくなってきたのである。長文も落ち着いて読めば、大概間違わない。リスニングも安定して440〜480あたりを彷徨うようになってきたし、うまくいけばこちらは満点取らせてもらえるかもしれない。となると、課題として残るのは語彙力だけということになる。単語が分かって集中力が続けば、満点取れる、かも。。。。しれない。。。。。
とりあえず、今やるべきことは語彙力の強化だ。これはもうTOEIC云々よりも、自分に必要な語彙をニュースなりなんなりで取り入れて行くほうが、方向性が正しいと思う。とまあそんな訳でTOEIC対策は卒業して、実務に使える感じの、というか「その道のプロの人」に評価してもらうに値するように英語を学んで行きたいと思う。願わくば、就職先が決まって「必要な方向性」がもっと正確に定まってくれれば、学びやすいのだが。
先日職業センターの訓練も終わって、本格的に自由になった。というか縛りがなくなったので、これからは自分で自分を自制して行動を起こさなければならない。これが今までも一番苦手だったのだが、そうも言ってられない。とりあえず、どこかコワーキングスペースを見つけて契約、通うようにしようと思う。自宅はバンバン人から干渉される(また防ぎようがない)し、地元の図書館は小学生や高校生が多くて集中できないので、ちょっと時間をかけてでも、他の利用者も同じような境遇にあって、なんか作業しやすいだろうな、という所に腰を落ち着けようと思う。
まあなんだ。なんでも気長にやるしかないのだが、ここ最近はだるすぎていけない。「これやりたい!」というのもないので、とりあえず自転車を復活させて、アドレナリンとテストステロンが仕事しやすい体勢を整えて行こうと思う。
ITとどう関わるか
ここ最近、プログラミングの勉強をしている。
理由はやはり、前職での経験に対する後悔や憎しみが今でも積もり重なって、「いつか見返してやろう」という気持ちがムクムクと膨れ上がっているから、というのが大きい。
また、単純に技術の勉強は面白いからだ。自分のペースでやれば。
きっかけは、とある外資系企業に出す英文のレジュメとカバーレター を作成していた時のことだ。
英文履歴書というのは、日本のそれとは作り方のコンセプトがそもそも違っていて、「自分を売り込むために書く。」無論嘘になる事は書いていないが、短い就業期間の中で経験した事、得たスキルを書いて書いて書きまくる。重箱の隅を突くように。
そうなると、必然的に前職での経験をあれこれ思い出さなくてはならない。正直思い出したくはないが、あのオフィスビルのフロアであった事は、なかった事にはできない。そんな事をしながらスキル欄を記載していたら、「あれ、でも別に新しいことを覚えたり、ものを作るのって楽しかったよな」ということも思い出したのである。
就職活動をすると、エージェント様からも「前職が前職ですし、IT適正はなんとなくあると思うんで、そっちで働きませんか」と言われる。自分でも技術を勉強するのは嫌いではない。正直会社が合わなかっただけで、ある程度ワークライフバランスが取れる会社なら、存外にやっていけるのではないかとも思う。
でもまあ、しかし。多分今はそんな事は考えられない。考えたくないのだ。
私にとってあそこでの経験では、正直やりがいは見えてこないと思う。SIにいるだけでは、末端のユーザーと知り合う機会が少ないからだ。モバイルアプリやWebアプリケーションの開発ならまだしも、業務系のシステムとなるとそうは行かない。前職でもっとも感じたのはそれだ。ものを完璧に仕上げて当たり前で、誰かがそれを認めてくれるわけではない。感謝されるわけでもない。あのオフィスビルの強制収容所のような区画で、黙々と仕事をこなすというのはただの地獄だ。目に見えてその日のノルマがこなせていなければ叱責され、コードが汚いと罵られ、いま思い返しても気が狂いそうだった。極め付けは昼休憩だ。昼は業務を行わないので、電気が消えて、あたりは薄暗くなる。何人か業務を続けている社員のPCが放つ明かりだけが、ぼんやりと使用者の顔を照らし、それはもう場末感があふれていた。私が最初あのオフィスを訪れた時に、軽く私の中でサイレンのスイッチが入った音を聞いたのだが、長らくその正体に気づけぬまま、私はその環境に順応していった。誰があんな環境でディスプレイの明かりを頼りに、好んで飯を食いたいだろうか。そんな人がいたら、もれなく私が前に通っていた精神科を紹介する。私はあんな環境で十何年も仕事ができる上司を、私は本気で尊敬する。
(一方で、上記のこととは別に、そもそも前職にはそれなりの恩義がある。プログラミングが楽しいことを教えてくれたのは前職だし、その他諸々教育やケアをしてくれたのも覚えている。結果は残念なことになってしまったも知れないが、損害を差し引いても、彼らには多大な恩義があると感じている。)
話が脇道に逸れた。私が再度IT業界に行きたいかという話である。
二度も足を突っ込んでしまえば、何かもうズブズブに行きそうである。とどのつまり、「組織の一部になりきれるか」という話をしているのだが、正直私には厳しい気がする。あんな寿司詰め状態の世紀末部屋で、再度コーディングをしたいかと問われると、答えはノーだ。二度と御免蒙る。例えそこで数年耐えてスキルアップすれば、外資系やらの開けた綺麗な部屋で、オシャレにコーヒー片手に仕事できると言われてもだ。そもそもその補償もないし、勝ち目の低い戦はしたくない。
もっと外に出て行って、人と話す仕事がいい。肉体労働(日雇い)はその典型で、声を出しながら仕事をするのは、疲れるが周りからの評判も良くなるので、やりがいがある。
別にオフィスワークでもいいが、どうせなら英語を話しながら仕事をしたい。英語は話すだけで、内容関係なくストレスを減らす。日本語のようにあれこれ言い回しに苦心しながら、慎重に話す必要はない。
プログラムはそれなりに勉強して、もしフリーランスとしてやる、誰かの仕事を手伝うということがあれば、やってみよう。将来独立した時のための肥やしにしようと思う。別に今はそれで利益を出さなくてもいい、詰められることもない。単純に何かを作る、創造的な趣味として取り組むことにしよう。
一度楽しいと感じたことを大事にしてやることが、自分を労わることだと信じて。
転職転職ばっかりで
転職しなければ、早くこの転職活動とか言う茶番を終わらせて、まともに、普通に働きたい。やりたいことだってある。年齢は、老いは私を待ってくれない。
「あなたはまだ若いんだから」なんて言われることもある。そんな奴は私の人生に対する責任を取ってくれるわけでなく、ただまあ、私の27という年齢だけ見てアッケラカンと言っているだけだ。主婦の井戸端会議、飲み屋のおっさんの説教と同レベルだ。
自分がここまで来るのには、相当な年数がかかった。25でようやく大学を卒業して、そこそこいい企業に入り、挫折し、負けてここにいる。私は自分の能力に、障害に敗北しただけだ。
自分のやりたいことだけ考えて生きて行けたら、どれだけ幸せだったろう。
なんとも「転職」であるとか、「人生」というものに縛られすぎている。旅行でも行きたいなぁ。
哀れな無職に施しを
前職の友人が「明日からまた仕事か・・・」とつぶやく日曜深夜、私は万年床でソシャゲを開いていた。先日DLしたSAOシリーズの新しいやつだ。小さな画面の中の自分の分身を動かしながら、悶々とする。
「明日からまた無職か」
昔の同期の間ではもはや無職というのは私の代名詞となっており、私と言えば無職、無職と言えば私といった感じになっている。田舎から抜け出せず、抜け出すわけにもいかず。とにかく早いとこ親から離れて遠いところで暮らしたい。土日に1時間に1本の電車を乗り継がないとどこにも行けない生活を脱して、オタクイベントに参加できる環境が欲しい。ライブに行きたい。秋葉原に行きたい。
就職活動は、県の障害者職業センターに通いながら続けている。センターに通う同じ境遇の方々がどんどん抜け出して就職しているのを見て、気は焦る一方である。だが、自分が職に何を求めているのかも分からず、どこに求人票を出せばいいのか分からず、ただハローワークがオススメしてきた求人票に履歴書を送りつける日々である。
周りは「地元就職はいいぞ」といった雰囲気を匂わせてくる。そりゃあ、そうだ。飯はうまいし、家賃も安い。電車通勤も職場によっては可能だ。金もたまるだろうから、イベントもどこへなりと行き放題。なはずだ。
ただ、自分は初めて大阪に出た時の成功体験に縛られて、地元就職というのを拒否している。何より情報の拡散速度、出回る率が違うし、特定のコミュニティだけにこだわって所属する必要がない。遊びに行くなら電車でどこでもいけるし、一人の時間が持ちやすいのが都会だ。また多くの人と浅い関係を保てる、人種のるつぼ感がいい。
ああ、しかし東京、てめーはダメだ。人種のるつぼなのはいいけど、不文律を他人に押し付けすぎる。そこに所属しないと、不文律を守れないとあかん見たいのが行けない。