哀れな無職に施しを
前職の友人が「明日からまた仕事か・・・」とつぶやく日曜深夜、私は万年床でソシャゲを開いていた。先日DLしたSAOシリーズの新しいやつだ。小さな画面の中の自分の分身を動かしながら、悶々とする。
「明日からまた無職か」
昔の同期の間ではもはや無職というのは私の代名詞となっており、私と言えば無職、無職と言えば私といった感じになっている。田舎から抜け出せず、抜け出すわけにもいかず。とにかく早いとこ親から離れて遠いところで暮らしたい。土日に1時間に1本の電車を乗り継がないとどこにも行けない生活を脱して、オタクイベントに参加できる環境が欲しい。ライブに行きたい。秋葉原に行きたい。
就職活動は、県の障害者職業センターに通いながら続けている。センターに通う同じ境遇の方々がどんどん抜け出して就職しているのを見て、気は焦る一方である。だが、自分が職に何を求めているのかも分からず、どこに求人票を出せばいいのか分からず、ただハローワークがオススメしてきた求人票に履歴書を送りつける日々である。
周りは「地元就職はいいぞ」といった雰囲気を匂わせてくる。そりゃあ、そうだ。飯はうまいし、家賃も安い。電車通勤も職場によっては可能だ。金もたまるだろうから、イベントもどこへなりと行き放題。なはずだ。
ただ、自分は初めて大阪に出た時の成功体験に縛られて、地元就職というのを拒否している。何より情報の拡散速度、出回る率が違うし、特定のコミュニティだけにこだわって所属する必要がない。遊びに行くなら電車でどこでもいけるし、一人の時間が持ちやすいのが都会だ。また多くの人と浅い関係を保てる、人種のるつぼ感がいい。
ああ、しかし東京、てめーはダメだ。人種のるつぼなのはいいけど、不文律を他人に押し付けすぎる。そこに所属しないと、不文律を守れないとあかん見たいのが行けない。
復習ノート(20180219)
復習ノート( 20180212)
あれこれ悩んでもしんどいので、DMM英会話を再開した。
コースは1ヶ月5000円程度で、1日30分講師とタイマンで話せる。基本的に私はセルビアとかボスニアといった東欧の方々を講師に選び、大概「デイリーニュース」という教材(ネットの英語記事を教材むけに要約したもの)を使ったレッスンをしている。
とりあえず1ヶ月続けたが、中々に上々だ。アメリカ留学当時の勘が戻ったとは言い難いが、とりあえずそれなりに話すことはできて、時折単語が思い出せず会話につまる以外は、英語的には問題ない。ついでに英語のPodcastやTEDがすんなり理解できる程度にリスニング力も上がってきた。
ここまでくると、寧ろ日本語力の方が問題だ。例えば、「アメリカの銃規制問題に関してどう思うか」という漠然とした問を投げられた時、論理的に相手の納得する解答を出せない。その場でなんとか話を繋げ、無理やり解答にする。
これではまずい、とレッスン前に予習はするが、一通り記事を理解する段階までは行くのだが、ディスカッションの解答をちゃんと構築することができていない。レッスンは30分しかないので、ダラダラ話していると時間がない。
そこで、今回からこのブログに事前に解答をまとめて上げて行く事にした。ノートにでも書けばいいと思った時はノートに書くし、はてぶろを書く余裕がある時はここに書く。
翻訳を仕事にしたいというのに、文章構成力がないというのは非常にまずい。そうでなくても日本語が怪しいと前職で言われてきたのに、何の向上もないようでは次が思いやられる。
とりま問題だけ、ここにあげる。
解答は明日朝起きてからあげるので、明日の俺よろしく。
1.What are your thoughts on the recent expansions of robusta coffee in arabica-growing nations?
2.Do you think that production of the "low-brow bean" is likely to spoil the reputation of arabica-growing nations? Why? Why not?
3.Are you of the opinion that countries renowned for their high-quality arabica coffee should outlaw robusta farming? Why do you think so?
自分が障害持ちな上に、親も病気で人生詰みそう(
長くはてなブログも更新していなかったので、近況をば。
自分の発達障害に関しては、最近県の障害者職業センターに通いはじめ、職業訓練を受けている。延々と計算やら数値チェックをやるのは楽しい。自分で制限時間を設けて、タイムアタック式に書類を片付けていくのは快感だ。他にも職務経歴書を書いたり、セミナーを受けたりしている。前職で自分が抱いた悩みや苦しみを、他の人たちも同じように持っていて、少し落ち着く。支援自体は3月までなので、それまでに自分の弱み、どういった部分に配慮してもらわないといけないのかなどを的確に把握して、次につなげていきたいと思う。
とまあここまでポジティブに文章を綴っていると、普通にニートをしているようにみえるが、そこそこ行き詰まっているのも実情である。
自分の就労支援がうまく行っていないのもそうだが、(始まったばかりなのでどうとも言えないが、自分の弱みも何もまだ分からない。就職してもまた同じ間違いを繰り返し、窓際になってしまうのではないかと考えると辛い。)母親がどうにも精神的な重病にかかってしまったのが辛い。母は深夜二時くらいになると、私の部屋に来て「私死んでもいい?私要らない?」「父は浮気している。私を捨てる。愛が無い。」などと30分くらい俺の枕元でまくしたてる。寝ている時におこされるのは何とも辛いので、起こされたらゲームでもしながら遣り過す。そのうち気が済んだら母も帰る。そんな事が酷い時は週に3度くらいの頻度であり、私もその時ばかりは精神的に参ってしまった。カウンセラーに思っていることを吐き出すことで何とか自分が壊れるのを防いでいたが、もう最近では限界に近いかも知れない。母は酒と薬を併用して呑んでいるので、健忘症に近い状態になっており、その時の記憶が無い。動画や音声を撮って見せても、「憶えていない、知らない」の一点張りである。
介護系のマンガや体験談を読んでいると、皆さん仕事を辞めたり親のそばにいるようにしている。自分もそんな風に人生の舵を切って行かなければならないのかと思うと絶望する。まだやりたいこともいっぱいあるし、将来の夢もある。少なくとも地元ではできないことだ。
父も前々から色々そしられ、苦労しているので、限界が近い。毎週二人でどうしたものかと下を向いて愚痴を吐き合っている。
まあ最悪、離婚もやむなしかなと思っているし、そうなったら母には祖母と二人で実家で暮らしてもらうしか無い。姉も別居しているし、父も私も出ていけば、自然とそうなる。何と無くそうなるのかなと本人も予想しており、そういった不安感から、深夜の行動に出ているのかなと思う。
延々と書いたら、何やらすっきりした。なんにせよ、自分は自分でやれることをやろうと思う。駄文ながら、お付き合い感謝申し上げます。
私病んでますアピールの是非
私は発達障害である。
先日医師の診断を受け、月に二度医師の元へ通院している。日々ストラテラを40mg朝と晩に飲み、9月まではやっとこさ働いてきた。だが先日、どうにもこうにも立ち行かなくなり、会社を辞めて浮浪の身と成り果てた。
就活はとりあえず、ぼちぼち始めている。障害者就労支援センターなる所に通い、カウンセラーの人と話し、どうやったら社会に適合できますかねぇ、ということなどについて延々話している。
家では朝起きて、日に一度飯を作り、アズールレーンで出来たレナウン嬢を嫁として愛で、彼女の天然さを愛で、時に袖にされながら日々を生きている。
そんなろくでなしの私だが、許せぬことがある。「発達障害であること」をダシに、私病んでますよアピールしてくる輩が許せぬのだ。特に誰というか、これが私のご母堂なのだが、本当に毎日のようにそのネタをぶっ込んでくるので、ほとほと弱っている。
母は齢60を過ぎている。血筋から見ても、彼女の日々の生活を見ても、何となくADHDかASDであるような点は見て取れる。空気が読めなかったり、作業の順序があべこべだったり、興味のあることにはのめり込む性格である点などがそうだ。発達障害であるなどという診断が降りても、彼女としては今更如何ともし難い、と考えているらしい。もはや死に行く身では、自分を変えていこうとかより良く生きようとか、そういうのがしんどいというのだ。また彼女の仕事柄、それがもし他所にバレてしまったら(言わなければいいだけなのだが)かなり痛い目にあってしまうだとか、30年前にかかった精神科医から散々こけにされたので、もう行きたくないとか、あれやこれやと診断を避けている。
別に医師の診断を避けるのは構わない。自分が障害者であるというのを受け入れるのは、中々勇気がいる。今まで当たり前のように生きてきた身分から、一気に格下げを食らう、今まで無意識にも見下げてきた人々と自分が同格になってしまう、というのは心理的に来るものがあるのだろう。
ただ、それをダシに自分が辛いのだとか病んでるのだとかアピールするのは我慢ならない。私は齢27であり、これから自分の特性を受け入れて世の中で生きていかなくてはならない。そのためなら大概のことは恥を忍んでやるつもりだ。そうやってこちらが一生懸命自立しようとしている隣で、私と同じ障害かもしれない、苦しんでいる、しんどいのだ、と宣うのはどうにも私への侮辱であるような気がする。私からみて、彼女の言う発達障害は、ファッション障害とでも言うべきものであるように感じる。つまり、自分も弱者であるような体を装って近づきつつも、肝心な所はボカして自分のプライドを守り、その一方で正式に発達障害の診断を受けた者を心の内で見下す、そういった類のものであるように感じる。
私だって発達障害で今までしんどい思いをしてきた。一方でそういった私を診断を受けていない身で上から目線で見られるのは、本当に不愉快である。
てめえだって、同じ穴のムジナじゃねえか!何を気取ってやがる!
と叫びたくなる。
今までは、叫んだところで言葉を濁され、その後の病んでますアピールが酷くなることが予想されるので、叫ぶことはしなかった。
だがここに来て私もほとほと愛想が尽きかけて来たので、そろそろ言ってやった方がいいのかな、という気もしている。
別に親はいつまでも親なのだが、その立場を逆手にとって、私の足を引っ張っていいことにはならない。
もう、きっぱり言った方がいい。
深夜2時の電話とか、寝ている私の枕元に立つのもやめてほしい。あれ、普通にDVにならねえかな。
都会向き田舎向きとは
ここに来て、本腰を入れて私も動いている。
差し当たっては、ジムと翻訳講座を申し込んで来た。無論前職での蓄えからの全額自腹だ。来月半ばには基本情報を受けるし、TOEICも控えている。
最近実家でゴタゴタが続いており、非常に居づらいので、とっとと出ていく準備を整えようと思う次第である。
そのゴタゴタに関連して、周りから、私は田舎に合っていると言われているが、あの人たちは何を持ってしてそんなことを言っているのだろうか。
私は土地によって合う合わないを考えたことがない。問題は土地ではなく、出会う人が問題だからだ。
日本全国どこに行こうが、合う人は合うし、合わない人は徹底的に合わない。そもそも他人と分かり合えるとか、そんな風にあまり思ったことがないので、その点極端な言い方をしてしまえば、「全員合わない」と言ってしまっていい。その反面「全員何かしらの点で合う」ということもできるのだが。
人柄がやんわりしてるだのなんだの、皆は言ってくるが、どこでも「やんわりした人」なんてのは存在しているし、それなりに快適に生きている人はいる。
無論合わない点に関しては少なからずあろう。しかし、その点はうまく折り合いを付けていくのが人間関係というものではないのか。その点は世界共通だと思う。
折り合いのつけ方に関して、妥協できるなら妥協すればいいし、できないなら離れれば良い。
その点、絶対数の多さからしてフレキシブルなのは都会だが。
元来コミュニケーションが苦手という自覚はあるので、スキルを磨き、「日本全国どこに行っても、柔軟に生きていけるようにする」を目標に生きてきた。
お陰で薄い人間関係を世渡りしながら生きていくのは、少しできるようになった。深い人間関係は死ぬほど苦手だが、旅先とかイベント会場で薄い人間関係に浸って自分を満足させられるような体になった。
そういう点で、私は都会向きであるように思う。全ては地元から離れるための策であり、これを無駄にしたくはない。
私の周りの人間、皆してテレビで聞きかじったようなことを吹き込んでくるので、気持ち悪くてしかたない。ちゃんと議論がなりたっており、マトモなのは親父だけだ。
早く地元を出なければ。出なければ自分が腐ってしまう。そんな気がしてならない。
引っ越し、それは難行苦行の代物
引っ越し、それは発達障害に限らず多くの日本人にとって「苦行」と言えるでしょう。世には「引っ越し大好き!」と宣うハイポテンシャルな方々もいますが、少なくとも多くの人々はそうではない、いや、そうではないと信じたい。
私自身過去複数回の引っ越しを経験し、その度に精神的地獄を味わってきました。今回は直近の引っ越しでのエピソード、教訓、感想を書き連ねたいと思います。
・引っ越し準備は複数人で。
私の過去の経験上、一人で行った引っ越しで成功したのは一回だけです。それ以外の引っ越しで、人に手伝ってもらわなかった時は失敗しています。成功したパターンに関しても、一人では失敗していたでしょう。
因みに数少ない成功事例は、元々居た会社の社員寮から、別の社員寮に移った時でした。この時は「この引っ越しで失敗したら会社での信用やら立場が失墜するな」という強迫観念がありました。失敗した時のことを思うとくたばってもいられず、人に頼るわけにも行かず、兎に角、体を動かすしかなかったのです。この時ばかりはレッドブルとモンスターエナジーに大活躍していただき、引っ越しをやり遂げました。
発達障害の1つの特徴として、「好きでもない事に対しては集中力が続かない」というのが挙げられますが、引っ越しに置いては、その特徴を顕著に見て取る事ができます。あんな興味もない、ストレスがかかるタスクなんてやりたくもクソもないですよね。まあ何とかやり始めたとしても、荷造りをしている間にあれこれ他のタスクを思い出したり、漫画を読みだしたり、ろくな事がないです。挙げ句の果てに、業者の運び出しに間に合わなかった、なんて事になれば目も当てられなくなります。(経験者は語る)
この「集中力のなさ」に対する対策としては、まず複数人で作業を行う事が有効です。今回私は両親に応援に来てもらいましたが、他の誰でもいいと思います。自分の汚部屋の惨状をさらけ出す覚悟があるのなら。
今回私は、両親にサンタの衣装が見つかり、色々聞かれました。正直に「サンタ服を着てクリスマスに東京駅あたりを自転車でサイクリングしていた。沿道の人たちと『メリークリスマス!』って言い合うの、超楽しかった。」とか言ったら、ドン引きされました。でも楽しいので、今年もやりたいです。
同期から送られたエロDVDと小型ローター、エロ同人は、運よく親父が整理してくれたので、事なきを得ました。白馬の被り物もあったはずだけど、どうなったんだろう・・・。
一緒に作業する人に関してですが、大学生ならサークルの後輩とか同期でも呼んで一緒に作業を行い、晩飯に焼肉でも奢ればいいのではないでしょうか。社会人で資金的に余裕があれば、専門の片付け業者さんを呼ぶのがいいです。次から私もこれを利用する事になるかと。。。
「引っ越し 片づけ 業者」とかで適当に検索したら、ゴミ屋敷清掃の業者に混ざって、何件か荷物の梱包をやってくれる業者も引っかかります。暇があったら「おっさんレンタル」も試したいですね。
・引っ越しにエンターテイメント性を持たせる
「引っ越しなんてつまらねー!」なんていう前に、一回先入観をひっくり返して見てはいかがでしょうか。「引っ越し 手順」とかでググって、「引っ越し論・術」なんてのを開拓してまとめると、楽しいことになるやもしれません。興味がないなら、一回味方を無理やり変えて、自分なりに興味を持ってしまえばいいのです。何なら、そんな「発達障害者向けの引っ越し術」なんてエントリーでブログでも書いてみてはいかがでしょうか。本当にそんな記事があったら、私が読んで実践したい。ついでに俺の引っ越しも手伝って欲しい。
あ、あと以前引っ越しのバイトを筋トレとしてライフハックにしている友人がいましたが、そんなんでもいいと思います。
IKEAの家具はクッソバラしにくいです。組み立ては言わずもがな。引っ越し業者さん曰く、北欧には「何回も引っ越しをする」文化が薄いため、何回もバラすことを考慮した設計になっていません。ネジの規格なんかも独自のものだったりするので、バラすのは酷です。無論デザインがハイセンスというか、かっこいいのは間違いないです。自分もデザインが好きで使っていました。ですが、一箇所に何年も長く暮らす事が想定できない人々は、ニトリの方がコスパがいいかもしれません。
そんなこんなで、昨日全ての荷物を受け取り、平穏無事に私の引っ越しは終了しました。
トラブルといえば、帰りの東京駅で「五右衛門(パスタ屋)」に入ってパスタを待っていたら、想像以上に提供に時間がかかって電車の時間が危うくなり、結局食べずに料金だけ払って出てくる羽目になったことですかね。こんなことなら普通にパスタ食べればよかった。ちなみに電車は間に合わず、1時間後の新幹線の自由席で帰りました。時間が遅いせいもあって席がガラ空きで、快適に帰省できたのでオールオッケーです。
引っ越しの面倒くささに対する究極の解決策は「荷物を持たない、増やさない」というのもありますね。アニオタやっているので、いつの間にやらライブグッズにアニメグッズが増えていくので、中々難しいところではありますが。
まあ次があったら専門業者さんに丸投げして、自分は悠々自適にコーヒーを啜る、ということにしたいと思います。
今回の教訓は次回に活きるのでしょうか・・・。