つらつら日記

ブラック社内SEからブリッジエンジニア(仮)に転職できました。修行中です。

今月のPVが1000を突破しました。

マメに更新するようになってから、アレヨアレヨとPVが伸びまして、今月1000PV超えました。定期的に読んでいただいている方々がどれだけいるのかは分かりませんが、嬉しい限りです。

 

以前もlivedoorブログで記事を書いていたことがありましたが、その時は1日10PVも行かず、最高でも1日40PVでした。

 

ぼちぼちこれからも更新いたしますので、よろしく見守っていただければと存じます

発達障害者のUターン、絶望的なのではという予測

今日、発達障害支援の団体Kaienさんの説明会に出てきました。

 

これから私は田舎に帰って療養しつつ、発達障害でもなんとか暮らしていける環境を模索していかなければならないのですが、正直絶望的なのではという気がしてきました。こりゃ、両親と一戦やり合わないといけないのでは。

 

1.まず職がありません

発達障害者枠を設けているのは主に大企業が中心で、中小や零細だと正社員でもいけなくはないらしいですが、はっきり言って雇用が安定しないらしいです。安定している中小ならまあいいですが、そこで担当者の方が発達障害に対する理解があるかと言われると、それも安定しません。過去に発達障害を二、三人受け入れたことがあるというのは、それは経験値になり得るでしょうか。発達障害でもADHDASD(アスペルガー症候群)、LD(学習障害)、及びその複合型と、これだけ細分化された症例に対して、過去にちょっと対応したことがあるだけ、という所が本当に対応しきれるのかは疑問です。そもそも親氏は「選ばなければ職はいくらでもある」と考えている節がありますが、「選ばなければ」前職と同じオチが待っているだけです。そもそも選ばなければ仕事はある(何とでも生きていける)というのは、前時代的な発想な気がします。そもそも選ばないと仕事にはつけませんし、適当に選んだ会社がブラックでした、体を壊しました、倒産しました、なんてことになった時に、誰が責任を取るのでしょうか。また労働というのは一生のうち相当な時間を費やすものです。(選ばなくてよかった方々はそれなりでよかったのかもしれませんが、)人間の人生の時間を有意義に楽しく過ごして何が悪いのでしょうか。

 

2.英語の使える職種がありません

無職よりも働いている方がいいのには決まっています。金(及び自尊心の安定)を得られるなら、どんなことでもやりましょう。しかしながら、できれば英語を使った仕事にはつきたいものです。両親としては富山で穏やかに暮らしてくれればいい、職種なんて選ばなくてもなんでもいいと思っている節がありますが、そうは行きません。私にだってやりたい仕事くらいあります。やりたくもない仕事を延々とやれというのは、我々にとってはただの地獄でしかありません。

 

3.そもそも田舎が嫌いです。

地元には嫌な思い出が腐る程あります。人間関係が無駄に密なのも嫌いですし、正直帰ったら放っておいて欲しい。子ども作ったりもしたくありません。(こんな私みたいな目に合わせるくらいなら、子どもなんて作らない方がいい。プライベートが確保できなくなるなら、結婚もしたくない。一軒家で人と住まうこと自体嫌です。)

今までのリーマン生活が酷だったのは、単に職種が合わなかった部分が多いのだと思います。一方プライベートを充実させる手段はいくらでもあり、精神的にある程度ましになれば、まともに生活することはできる。

 

 

以上の点を踏まえて、いかに田舎を短期間で脱し、都会で就職するか考えようと思います。

SE続けろ、ってバカ言ってんじゃないよ

とりあえず、まだ気分の浮き沈みが激しい日々ではあるけれど、就職へ向けて動かなければ、という思いから、先日勢いで就職エージェントとの面談を申し込んだ。

 

正直なところ、エージェント様の言うことは半信半疑かなぁ、といった所。言われたことを書き出すと、

 

・自己肯定感低いよね。別に低くてもいいけど、前職の失敗引きずったままだと別業種きついんじゃない?カウンセリングルームとか行って、人に自分の話を肯定してもらうといいよ。

・働くことを通じて成長すると言う体験が必要だと思う。そうすれば時肯定感が生まれるよ。

・とりあえず現状お勧めできるのは、IT(未経験OKなところ)と、営業かな。SEでうまいこと障害乗り越えれば、自己肯定感増すよ?

・将来の目標と夢があるだけまし。後はそれに計画を作って、PDC回そう。越えることができるステップをいくつか作って、一つ一つこなしていこう。

・とりあえず応募しまくれ。積み重ねていかないと先はないよ。

 

私があまりうまく話すことができず、2時間近く面談にかかってしまった。付き合っていただいたことには感謝したい。

言っていることは理路整然としているし、他己分析に付き合っていただいたおかげで、今まで自分の見えていなかった部分にスポットが当たった感じはある。(ああ、やっぱり俺発達障害じゃん、という自覚が強まった面も否定できない。)

ただ一方で、(向こうも商売柄結果は出さないといけないんだろうけど)こっちも陰々滅々としてるのに、ガツガツ再就職活動を始めろ、と言うのも酷な話だと思う。

私が「まだITに未練がある」と言う話をしたせいか、ITを勧められたが、再起を図るのにITをまた選択すると言うのも酷かもな、と感じた。ここまで話して、ITに戻りたくなくなっている自分に気づいた。前職では嫌ほど「あなたはこの業界に向いていないよ」と言われたせいか、もうその気になってしまっているのではないだろうか。

 

正直、自分は将来どうなりたいのかに関してかなり問い直すきっかけになった。

海外で働きたいと言う願望を突き詰めると、要は「自分が真っ当に働いて、自分なりに楽しく生活したいだけ」なのである。(ついでに自分の特性を生かして、他人より仕事ができると評価されれば、申し分ない。。。)

海外、特にアメリカは一人一人が違って当たり前という風土であるし、それなりのスキルさえあれば(発達障害があっても)認めてくれて、自分でも生きていくことができると思っていた。ヨーロッパも然りである(昨今はかなり事情が違っているようだけれど。)

職種は別にSEでもなんでもいい。ただ、就職活動の時には自分の中で様々な可能性を消して行った結果、残ったのがSEだったのである。

(話すの苦手だから営業はダメだし、文章書いたり絵を描くのも苦手でセンスもないから、デザイナーとか新聞記者もダメ。官僚になるには年齢も頭も足りない、地元の役場は地元に帰らないといけなくなるから嫌、などなど・・・)

そもそも消去法で就職先を選んでいる時点で、色々ナメくさっていると言うか、自己肯定感の低さを露呈しているのだが、そこはそれ。それが四半世紀生きた結果なのだから、仕方ない。可愛い可愛い「私」様である。攻めはすまい。

 

とりあえず何日までにあれしろこれしろ、と言われてちゃんとできるくらいまで精神が回復していないので、ちょっとお願いして就職活動は見送りたい・・・

 

 

人と会話を続けるにはどうすればいいのか。

あなたは人に関心がなさすぎる、と言われたことがある。

 

就職活動の際にもアドバイザーに言われたセリフだ。エントリーシートを見ても何を話しても、私の話に終始他人が出てこなかったからだろう。「他人にこう言われてすごく感銘を受けた」「人に注意されて初めて何かに気づいた」という場面はあるのだが、あまり記憶に残っていない。

大学生活の間は編入試験やらサークル掛け持ち、留学やらなんやらに追われていた。そこには確かに他人がいたはずなのに、なぜか記憶に残っていない。

断片的な記憶はある。編入予備校のアドバイザー、講師のセリフ、サークルや留学でできた友達などなど。こいつはこういう奴だな、程度の認識はあるので、少しは人は見ているのかもしれないが、なんにせよ記憶に残っていないということは、私の脳内では「他人(の行動、人格など)」にカテゴライズされた情報は記憶に残す優先順位が低いということなのだろう。

 

そんな中、苦労するのは他人との会話だ。

昨日久々に留学時代の友人と会ってコーヒーを飲んだのだが、私のことばかりが話題の中心になってしまった。向こうは会話能力が高いので、私のことを色々聞いてくれる。私の前職がSEなのに絡めて、うまく話を展開してくれる。私もそれなりに相手に質問を投げたりするのだが、どこかで必ずネタ切れする瞬間が訪れる。最後はネタがなくなってしまい、ついには自分の発達障害のことも「やりたいことしかできない病」とぼかして話題に出さないといけなくなってしまった(発達障害として受け取ったかはわからないが)。そもそも他人におおっぴらけにできるほど、インプットがないのかもしれない。「これは会話のネタにできる!覚えておこう!」と判断するほど周りの事象にも関心がないのだろうか。

 

もっと外に出た方がいいのだろう。とりあえず外出して北海道縦断でもしてくれば気も晴れるに違いない。(?)

 

一度田舎に帰ったら、どうやって人と会話を展開すればいいのかじっくり考えてみようと思う。

哲学がどうのこうの

fromdusktildawn.hatenablog.com

 

ああ、そうだよなぁ。と思った

ちなみに、私の親は哲学が嫌いだ。親父に言わせれば「哲学なんて学んでも、理屈屋になるだけで役立たない。就職では突っぱねられる」らしい。一方母親に言わせれば、「とりあえず論理的な理屈屋にはなるべからず。鼻につくから。」らしい。

大学の友人に聞くと、色々な答えが返って来る。哲学でいうある種の「考え方」や「主張」を考え出した人の人生を追うと面白い、という人もいれば、「まあ社会的にあんまりおおっぴらけに言うもんじゃないけど、まあためになる」と言う人もいた。

 

個人的には、哲学系の本は読んでいて面白いとは思う。ためになったかは分からない。

ただ仮説ではあるが、哲学をうまく理解できると、人生生きやすくなるんじゃないかと思うので、哲学の本は読んでいる。

哲学における主張や理論は考え方の方程式のようなものであり、「此処をこう考えると、こうなる」と言う理屈を束ねたものである。(ただ方程式のような普遍性は薄いように思う)

私のような人間は考え方が硬い。柔軟性がない。かつ思い込みが激しい。なので、他人の考え方を自分の中に取り込むという作業に時間がかかる。その点哲学は書物などデータにまとめてあるので、時間をかけてじっくり学び、理解することができる。

実際に哲学の考え方を生活に取り入れよ、とかそういう堅苦しいことは言わない。というか、それはかなり現実的に難しい。哲学は自分の脳トレ、頭を柔らかく、考え方を柔軟にする訓練の意味合いがあると思っている。少なくとも世の中には様々な考え方があり、自分の考えが絶対でないことを知っておけば、生活の場において一歩引いて状況を分析する余裕が生まれるのではないだろうか。

 

上記に引用したブログの執筆者の方も言っているが、「哲学は役に立たない。役に立つことを目的にしてはいけない。」一方で脳トレ的な意味合いで、もっと気楽に肩の力を抜いて、哲学は取り組むものだと思う。(ガチでやりたければやってもいいが。)

哲学は頭の固い人たちが多いとか、理屈屋が多いとか、イメージとしては間違っていないのかもしれない。だがそれに囚われず、もっと「柔軟に」かつ気軽に取り組まれるといいなぁと思う今日この頃である。

辞めてみてどうだったか(1日目)

仕事を辞めてみて1日目ですが、どのように感じているかというのを少しまとめてみたいと思います。

 

1.自分の服装の酷さがわかった。

まず服装に目がいきました。まず、普段着のシャツはヨレヨレで自分に似合っていない。。。

普段私はどこぞのブランドショップ(UNION...SQUAREだったかそんなブランドの服)で2年前に買ったチェックのシャツを着ていました。服の管理が雑なので、すでにボロボロです。でもここ最近全く気付きませんでした。新しい服はそんなに買う余裕が(金銭的かつ精神的に)ないので、ここ2年ほどRAGEBLUEなどにも全く行っていません。大学入ったばかりの頃は特におしゃれをするのが大好きで、雑誌を読みあさったり、いわゆる「脱オタ」ファッションの本を読んだりして研究していたのに・・・。

ちなみに会社に来ていくカッターシャツもボロボロです。アイロンがけは気付いたら、ここ半年くらいやった記憶がありません。そういえばひどい時には、週末に洗濯機を回す気力がなく、月曜日の朝になって「着ていく服がない」なんて事態もありました。そんな時は近所のコンビニへカッターシャツを買いに走りましたが・・・。

 

2.趣味がちゃんと楽しい。

働いている間は、せっつかれるように趣味をやっていました。「休日は趣味に浸って、無理にでも仕事から離れるべき」という脅迫観念に縛られていたのでしょう。とりあえず趣味はやらないと、休み明けにもっとしんどい思いをすることになると感じて、無理やり外に出たり、筋トレしたり、本を読んでいたりしました。それはそれで気晴らしになってはいたのですが、今の方が数千倍楽しいです。

例えば昨日立ち寄った本屋で「銃・病原菌・鉄」を見つけ、衝動買いし、さっきまで読んでいました。ちゃんと集中できたし、自分の趣味に合うものを久々に見つけたという感覚です。仕事している間は読書中も「もっと仕事に関連がある本を読むべきじゃないのか・・・。こんなことをやっている暇があったら、UMLの勉強でもすべきではないのか」などの雑念が入って来て、楽しめないことが多かったです。自転車もまあそこそこに楽しめるでしょう。(今週末は台風が来るので乗れませんが)

 

3.将来への希望がある。

転職は前々から考えていましたが「今の職場でろくにコミュニケーションも取れていないし、仕事のクオリティも低い。今はここにいて、少しずつでも前に進まないと・・・。絶対生き残れない。でもこのまま此処に居ても、将来自分がまともに働けるビジョンが持てない」なんてことを思っていました。仕事から解放された今となっては、私は自由です。退路を絶ってしまったことで、次のことを考えざるを得なくなり、ハイになったのかもしれません。「営業でも翻訳でも何でもやってやろうじゃない!雑談嫌いで自分が相手を説得できるビジョンなんて一つも見えないけど!」という心境です。

 

一方で、上司とももっとちゃんと話せばよかったなぁと思います。相手の求めるものが分からず、指示の言外の意味も取れないので、関係はよくありませんでした。「君にやらせられる仕事がない」と言わせてしまったのは、私の責任です。「こうして欲しいなんて言ってしまったら、限りなく迷惑をかけてしまうだろう、否定されるだろう」と勝手に判断してしまい、自ら口を噤んでしまいました。今思えば上司も、もっとコミュニケーションを取りたかったはずです。それにうまく答えられなかったのは私の落ち度ですし、この際自滅覚悟でぶつかっていくべきでした。言い訳をさせてもらうなら、私にその気力はありませんでしたし、自滅した際のリスクを思うと、どうしても足がすくんでしまいました。正直双方がハッピーになるためには、どうするのが正解だったのか、未だにわかりません。

 

まだ1日目なので整理がつきづらい部分もありますが、やはり無性に自転車旅に出たい衝動に駆られています。ものを考えるなら、私は自転車の上が一番いいのではないかと思っているので。そこのところは実家と相談ですね。

発達障害の引っ越し

仕事をする日としては、今日が最後でした。残り半日、出勤してPCの初期化やら近くの人にお菓子を配り歩く日は残っていますが、本格的に一日オフィスに篭る日は終わりました。

 

仕事を辞めることが決まって数日、テンションが上がり「仕事辞めたら何しよう!」とか色々考えていたのですが、実際辞めてみると虚無です。虚無が残りました。

事実上、発達障害を抱えたまま世に放り出されることになったわけですが、まあ漠然と「明日からどうすっかな」と言う思いもある反面、「まあ何とかなるやろw」と言った感じでもあります。根拠はありませんが。。。

 

とりあえず住民票を取ってきて、転出届けもして、転職エージェントと面談して、発達障害の支援団体の人ともお話しして、、、という雑事はまあいいとして、その後には「引っ越し」という発達障害には無理ゲーなラスボスイベントが控えています。過去何度も引っ越しには苦労させられました。一番ひどかったのは、大学編入の時ですかね。

 

その時は引っ越し3日前まで自転車旅に出ており、その後帰省⇨取って返してマンションへという強行軍を組んでいました。当然マンションに着いた時には荷物の仕分けをする体力なんて残っているはずもなく・・・。やらなければならないという意識だけはあったので、夜にレッドブルを買い込んだところまでは良かったのですが、仕分けも荷造りも終わらず、目覚めてみれば、業者が来るまで後1時間。荷物はほとんど手付かず。頭は真っ青。手当たり次第に荷物をダンボールに突っ込み、大型家具を外に出しました。引っ越し業者がやってきて、アレヨアレヨと大型家具は持っていってくれました。ですがダンボールはほとんどが手付かずで放置されたままです。どうしよう、午後にはマンションの管理業者が点検しに来るのに。。。

トチ狂った私はとりあえず落ち着こうと、近所のローソンでパンとモンエナを買い、後のことは考えずに片付けをしました。ええ、ひたすらに。途中管理業者が何かを察したのか、顔を出しにきて、「あぁ、こりゃあかんわ」という眼差しをして帰って行きました。幸い転居先のマンションに両親が待機してくれていたので、洗いざらい事情を話して助けに来てもらいました。予約なしでも速攻で対応してくれた両親と赤帽さんに感謝です。引っ越しが終わったのは夜の10時でしたが。

直近の引っ越しはまあまだそれに比べれば成長した方かなと思います。一人で大方の作業をこなすことができました。大型家具は一通り運び出していただけましたし、ダンボールも全て運び出すことができました。ただ、一部ダンボールに入らなかった荷物があり、それは転居先への荷物の運び入れが終わった後、もとのマンションにとって返して、リュックに入れて自力で運ぶ羽目になりましたが。ちなみにその作業が終わったのが、夜中の1時です。

 

さあ、今回の引っ越しにはどんなハプニングが待っているのか。私は無事全ての荷物を実家に送り、後ぐされなく仕事を辞めることができるのか。乞うご期待です。

金があったらやりたいこと。業者を呼んで荷造りしてもらう。