蹴りをつけたい
OJT期間が間も無く終了しようとしている。
なのに、私は仕事ができないままだ。
とうとう精神科と産業医のお世話になることになった。
学生時代からずっと気になっていたが、私はどうもADHDらしい。別に診断を受けたわけではないが、言われたことはろくにできてないし、スケジュール作成はできないし、見積もりも立てられない。優先順位もつけられない。空気が読めない。
座りっぱなしだと落ち着きがなく、ケアレスミスが多い。高い制度が要求される仕事なんか特に苦手だ。
まあ、英語なんかは好きなんで、TOEICで2時間集中しっぱなしも苦ではない。(疲れるけど)
翻訳の仕事を任された時は、2日くらいどっぷり翻訳対象の束とにらめっこしていた。その結果それなりの精度で物を仕上げることができ、好きなことをして認められたので充実感もあった。
まあなんだ。とりあえず近々産業医と面談なんだが、会社の人にADHDを告白するのは恐ろしい。いかな産業医や教育部署の担当と言えど、首も覚悟しなければならない。
いわゆる自己都合退職という奴になるのだろう。
今まで散々会社の人には迷惑をかけてしまった。その結果の退職勧告というなら、仕方ない。正直な話、私もこれ以上上司や教育担当の方々に迷惑をかけたくない。本当に迷惑なのだと言うなら、潔く身を引く覚悟をしなければならない。(入社一年を待ってからだが。そうでないと失業保険の申請ができない。)
いや、ごめんなさい。本当を言うと未練タラタラだし、退職はしたくない。まだ会社の皆さんにしてもらった投資分を返すことができていない。そんな状態で退職しても、私のプライドが許さない。受けた恩は返さなければ、道理に合わない。
先ほど、産業医にADHDを告白するのが怖いと書いた。だがしかし、個人的にはもう教育担当や上司には私の病気がバレているのではないかと勘ぐっている。
ネットでちょっとググればADHDの特徴なんていくらでも出てくるし、ここまで仕事ができないなんてのはおかしいし。何より教育担当の人なんかは、その道のプロだし。気づいていない方がおかしいのではないか。
ただ、まだ気づいていないと言うチンケな可能性に浸っていたくて、まだ教育担当には言ってない。
職場の先輩には気づいていて、相談に乗ってくれる人もいる。
社会人として、一人間として、私はどうすればいいのだろうか。
いい加減、蹴りをつけたい。
働くということについて
もうすぐエンジニアとしてのキャリアをスタートさせて、一年が過ぎようとしている。
まあこう、色々あって大変な時期もあったが、やっとこさ生きている。
今の所、ちょこっとiPhone向けのアプリが作れたり、テストができたり、Linux環境でサーバのIPが変更出来たり(いや、環境が変わったら出来ないかもしれない。環境が変わったら試行錯誤してなんとかできるようになるかは、不明である。)、エンジニアのエの字の最初の一角目へ筆を振り下ろしたぐらいの地点には立っている。
エンジニアという仕事は自分に合っていないのではないか、なんてずっと考えながら仕事をやってきたわけだが、まあもう2年くらいはやってもいいのでないかなという気にはなっている。
エンジニアになってよかったことは、物事をいちいち問い直す癖がついたこと、細分化して考えようと努力できるようになったことだ。(両方とも大学時代はできていなかった。もっとも、私の指導員の方や上司からみて、私がそれをできているかと言われると、できていないと言われる思うのだが。)
これまでは、私の現状の把握だった。
さあ、ここで本題だ。「働くということについて」だ。
この約1年のポンコツキャリアで持ってして将来を考えると、自分の働く目的は以下の通りとなる。
・食い扶持を得るため
・将来海外で働くため
・翻訳家のためのキャリアステップ
食い扶持を得るというのはまあさておき、海外転職や翻訳の話に絞ろうと思う。
海外で働くのは前々からの夢だったし、その先にあるのは翻訳家だった。
SEとしてキャリアを重ねてもいいとは思うが、どうにも人を管理する系の仕事には向いていないように思える。一方技術を極める方向にいけるかどうかというのは、現状の私のレベルを鑑みるに将来性がはっきりしない。技術を極めるのなら、(夢に近いが)エヴァンジェリストが自分が大学時代に考えていたことに一番近い気がする。
まあなんにせよ、今年は資格を取って行く一年にしたい。
国際共通の資格を持っておけば、海外転職時にスキルを証明しやすいし、足がかりになる。
あまり文章を書かないので、まとまりがないものになってしまった。
これからも、あまり気張らずハードルを上げず、一年生きて行きたい。
マイペースが自分には合っている。
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